入院日記
2002年08月04日 

 
02年8月4日 発見
 朝、何時もの様にトイレへ。便器に赤い鮮血。 朝、近くの病院へ行く。点滴による止血を受け、レントゲン撮影。翌
日、CT検査の予約をして帰る。 翌日の朝、激痛でまったく動けない。父親の車で病院へ。あまりの痛みに、痛み止め
の注射をして2時間ベットで休む。痛みを我慢しながらレントゲン撮影とCT。初診、尿道結石?でも、レントゲンには石
の影なし。あまりの痛みに、そのまま、入院。入院は1週間の予定。点滴と石を溶かす薬を毎日飲む。でも、レントゲン
にも、CTにも石は写ってない。もしかして、別の病気かな〜。疑問が一杯。退院前に大学病院の先生(教授先生)に、
検査をお願いする。
8月9日 再検査
そして再検査。エコーそして、CT写真を見てもらう。15分後 右腎臓5cmの出来物があります
告知!!(悪性の可能性大)。即日、転院を進められる。尿道結石ではなかった。こんな簡単に、告知されるとは。平
然と、簡単に。
発見していただいた、先生の病院には行かずに他の病院へ。何故なら、父が二年前に別の大学病院で、心臓の手術
をしたことが有り病院を良く知っていたから。
8月14日 大学病院へ
世の中、お盆のお休みなのに大学病院の泌尿器科へ行く。前の病院で撮ったCT写真と紹介状を持って大学病院の門
をたたきました。
初診外来の申し込みをして、待つこと40分。やっと自分の名前が呼ばれました。この病院に来る前の状況説明をして
CT写真を確認です。
先生がCTの写真を見るなり、詳しく調べる必要が有ります。出来るだけ早く入院していただきます。早速、エコー検査
で再確認。女医の先生が見るなり、右と左で形が違いますね。
同じ診断でした。早速入院の予約をして帰えりました。さすが、大学病院です。入院は順番待ちで何日待つかわからな
い。会社へ入院の為長期お休みの連絡をする。精神的落込みは極限でした。 そして、5日後入院(まさか、こんなに早
く入院出来るとは。後で分かったことですが、初診で見てもらった先生が院長でした。 

8月16日 入院前の準備
入院に必要な、コップ 箸、スリッパなど100円ショップでお買い物。前回の入院で暇をどの様に、つぶすのか一番の
問題でしたから。本もどっさり買い込みました。
8月19日 入院
やっと、入院です。朝、9時30分父と一緒に病院到着。受付で入院手続きをすませ、待つ事15分。病棟に案内されま
した。早速、ナ−ススティションへ。ベットメイキング中なので食堂で待つことに。待っている間に体重と身長を測ってお
いてくださいと父に言っている。看護婦さん、入院するのは私です。しっかり間違われました。父が入院で付き添いで私
が着ていると思われました。
そうですよね、確かにそう見られても仕方ないか。
10時30分 ベットに案内されて着替え。看護婦さんより、アンケ−トの記入をお願いされる。緊急連絡先、宗教、病状
など。
11時30分 お昼。ぜんぜんお腹すいていません。病院は食事時間が早いと聞いていましたが本当に早いですね。
何も、することも無く夕方まで病院内を散歩。17時担当医が挨拶に来る。担当医とは、入院中の処方箋や、病状確認
の仕事をする先生。主治医は、治療方針と退院後通院で見てもらう先生になります。
夜9時消灯。こんなに早く寝るの何年ぶりだろ。もちろん、寝れません。
8月20日
6時起床。朝一番。採血。寝ぼけ眼に、ブチュは痛い。もちろん、こんなに早く起きるの何年ぶり。
8月21日
明日からの、検査について説明。早速、明日CT検査です。昼食なし。ベットの上に昼食なしの紙が...寂しい。
8月22日 CT検査
CT検査 14時から。30分間。造影剤を入れられ撮影されるときは体が熱くなります。水分を一杯とって体の外に早く
出さねば。
8月23日 MRI検査
突然、キャンセルがあったので、15時からMRI検査が入りました。とにかく、うるさいの一言。狭い中で、閉所恐怖症に
なりそう。夕方19時 担当医が来てCT検査は放射線科の結果報告を見てからになりますが、私の見る限り早く処置し
た方が良さそうです。一言。明日は土曜日なので外泊のお願いをしておく。
8月24〜25日 外泊
病院で必要なものを買出し。ついでに、パソコンも。病院でパソコン使用OKだった。盗難が多く自己責任と言う条件で。
早速持っていく準備
8月26日 レントゲン
朝、9時病院へ到着。造影剤を注射してレントゲン撮影。右腎臓の機能チェック 10分間隔で撮影。明日、インホ−ム
ドコンセントをすることに。両親に連絡。
8月27日 手術準備始まる
心電図、呼吸器、肺活量の検査。意外にも、肺活量4.7Lもあった。
17時30分 インホ−ムドコンセント
腫瘍の大きさ5cm 悪性の可能性80%。覚悟決めました。手術です。半べそでしたけどね。
その他、転移はなし。ほっと一安心。抗がん剤は腎臓癌には効果はないとの説明。
手術は、開腹手術にしました。手術時間3時間 全て終わるのに6時間の予定。自己血の準備が出来無いので輸血の
準備をすることに。後で分かったことですが、手術の時研修医が私のお腹を見学したみたいです。開腹手術だったか
ら、よく見えたことでしょう。
手術日決定 9月3日 本当に急いで手配してもらっているようです。
8月28日 
今日は、何もなし。検査もなし。部屋でごろごろ。同じ病室の人と笑い話。
ちなみに、ベットのお向かいさんも、同じ腎臓癌でした。手術で左腎と膀胱、尿管を摘出。肺に転移があり抗がん剤治
療中。
釣りが趣味で、話が合います。年齢は父と同じ年でした。
8月29日 血管造影説明
放射線科へ、血管造影検査の説明と同意書に捺印。父から、足の付け根からビンを刺して、ストロ−みたいなものを
血管に通して造影剤を注射して撮影するとは効いていたのですが、意外にも、腕からすることに。ベットでの安静時間2
時間ですむので楽。ちなみに、足の付け根からだと、6時間ベットで安静です。
8月30日 血管造影
朝9時から、検査です。もちろん、朝食なし。30分で終わりました。意外に出血がありました。20分経ったところで麻酔
が効かなくなり追加で麻酔を打ちました。
8月31〜1日 外泊
手術前、最後の外泊です。なんとなく、お寿司が食べたくなり回転寿司へ。生もの久しぶりに食べて満足。自宅で飼って
いるめだかと熱帯魚の水を交換して無事帰ってくると誓うのでした。
9月2日 手術前日
やっぱり、忙しいです。朝から、体毛の処理に始まり、麻酔科で硬膜外麻酔(手術後傷が痛むのを和らげる麻酔です)
の処置。シャワ−を浴びる。16時看護婦さんより、明日の、スケジュ−ル説明。19時下剤を飲んで20時トイレに駆け
込む。
なかなか、落ちつがず寝れません。0時を過ぎたところで寝ました。
9月3日 手術当日
朝早く起きる。5時には目が覚めました。7時浣腸でお腹には何も残ってません。7時20分安定剤を飲み。寝巻きに着
替えます。ノ−パンです。8時両親到着 
8時20分ストラクチャ−に乗って手術室へ。まな板の鯉です。恐怖です。手術室で天井を見上げたら照明が一杯。テレ
ビと同じです。本当だったんですね。
麻酔をかけます。マスクをしてゆっくり呼吸、そして5秒後何も覚えていません。
肩をたたかれました。終わりましたよ。何時だろう。寝ぼけているので良く分かりません。でも、麻酔が覚めていくと同時
に傷が痛みます。病室へ戻る頃には声も出ません。
硬膜外麻酔が、効かない。座薬と痛み止め点滴が頼みです。病室へ戻ってきました。
まだ、時間が分かりません。個室らしい。両親が待っていました。時間を尋ねると14時30分。やっぱり約6時間でし
た。輸血はなし。腫瘍の大きさ7x5x4cm意外に大きかった。とにかく、痛みに耐えるしかありません。一時間毎に看護
婦さんが見に来ます。夜中も。もちろん痛みで寝れません。
9月4日 手術2日目
前日から、寝ていません。朝4時頃でしょうか。やっと落ち着いてきました。体が疲れでへとへとになったからでしょう。
少し落ち着いてきたので、体に付いている物を確認。点滴2本。鼻から管一本。尿道に一本。お腹に一本。ホ−ス(ドレ
−ン)みたいなもの。酸素少々。
とにかく、動かない。痛いので。夜、主治医が来て、明日鼻の管を取りますよ。夜にはかなり痛みが取れてきました。看
護婦さんが来るなり、若いから大丈夫。明日から、歩きますよ。信じられない。天子が鬼に見えました。夜22時疲れ果
てて寝ていました。
9月5日 手術3日目
朝、6時起床。痛みも少なくなってきました。看護婦さんと会話。動くと痛いのでテレビを見て時間をつぶす。9時30分
傷の消毒。初めて傷口を見る。え〜こんなに切ったの。ショックです。
午後に、鼻の管が取れました。15時から、歩く練習ね。本当にするの?
看護婦さんにおだてられ、立ちました。手術3日目にベットの周りを往復。17時にも歩く。看護婦さんから若いから、回
復が早いね。そんなことはありません。倒れそうです。
18時から少量の水が許可されました。
9月6日 手術4日目
ほとんど、寝がえりができないので、背中が蒸れでかゆいです。
朝7時点滴終わり。また一つ取れていきます。食事が始まりました。5分粥です。美味しかったです。9時に傷の消毒。
13時に廊下を歩く練習です。息もたえだえ。13時体拭き。背中が気持ちよい。15時お腹のドレ−ンが取れました。今
日は疲れたので21時寝ました。
9月7日 手術5日目
朝食後 体拭き。今日は病院はお休みなので、看護婦さんは2人です。土日は外泊してほしいのはこんな理由から。も
ちろん、外泊は出来ません。今日も9時に傷の消毒。午後に尿管の管は取れました。体には、何もなくなりました。自由
です。2時間後トイレに、勢いがない。
朝は7分粥で、お昼から軟食です。夕方から、通常食。15時に売店でアンパンを買い込む。もちろん頂きました。
9月8日 手術6日目
何も無く、ベットでごろごろ。
9月9日 手術7日目 CT検査
朝絶食。なかなか呼ばれない。15時しびれをきらして、ナ−スステ−ションへ。本日、中止になりました。朝もお昼も食
べてないよ。半べそ。食堂でやけ食い。明日、糸が取れます。
9月10日 手術8日目
10時から糸を取ります。ただし、半分だけ。11針。残りは明日です。そろそろ、退院の予定を確認する。20日ごろに
なりそうです。
9月11日 手術9日目
10時糸か取れました。10針全部で21針でした。とりあえず、個室から相部屋へ移動です。
夜に微熱が出ています。37.4度。そろそろ、生体検査結果が来る頃。良性だったら良いのに。
9月12日 手術10日目
朝10時主治医が生体検査の結果を持ってくる。やっぱり悪性でした。たちの悪いのでは無いそうですが。
夜中に、嘔吐。23時コ−ル看護婦さん飛んでくる。車椅子で移動レントゲン撮影。点滴。
今週の外泊許可取り消しに。
9月13日 手術11日目
シャワ−の許可が出たので体を洗う。傷口のかさぶたが取れてきれいな傷口が?
深夜4時 また、嘔吐。車椅子で移動レントゲンを取りに行く。嘔吐が緑色に。腸閉塞を併発したらしい。絶対安静。水
 食事は許可があるまで不可。急遽、個室へ移動。吐き気が続くため、鼻から管を入れる。胃液を出す為に。なんとも
気持ち悪いです。
9月14日 手術12日目
両親が来るが、個室に移動したことを知らなかった。動けません。手術の痛みとは違う苦しみです。吐き気がひどい。
お腹も痛む。担当医が朝9時に様子を見に来る。
9月15日 手術13日目
前日と同様に動けません。痛みを耐えるしかありません。退院が延びていく。
9月16日 手術14日目
お腹の痛みは無くなる。歩いてレントゲンを取りに行く。もちろん、何も口にしていません。
9月17日 手術15日目
お腹が、ぐ〜ぐ〜なってきました。
9月18日 手術16日目 
水を飲んでよい許可がでました。何日ぶりでしょうか。美味しかった。
9月19日 手術17日目
夕食から3分粥が出ました。でも、手術後初めての食事より美味しくなかった。
9月20日 手術18日目
今日も3分粥でした。散歩しないとお腹の動きが良くならないらしい。病院内を散歩
9月21日 手術19日目
5分粥です。23日 外泊のお願いをする。昨日退院の予定だったのに。夕方トイレに。久しぶりに大きいの見ました。
9月22日 手術20日目
明日、外泊許可が出ました。本日7分粥。明日から、食事制限なし。
9月23日 手術21日目
朝食後外泊。久しぶりに実家へ。ご飯が美味しかった。自分の家に行って、水槽の水を替えます。めだかは元気そうで
す。
9月24日 手術22日目 
引越しです。相部屋へ移動。今後の転移防止の為に、インターインターフェロン、インターロイキン2フェロンを注射する
ことに。
25日、注射することに。退院も28日に決定。副作用がきついとか。
9月25日 手術23日目
17時インターフェロン注射。看護婦さんが打ってくれました。4時間後に38.8度の発熱。ふらふらです。薬で熱を下げ
ることに。
9月26日 手術24日目
退院の準備です。身の回りの物を家族に持って帰ってもらいました。
9月27日 手術25日目
17時インターフェロン注射今度は、自己注射の練習です。これから、自宅で一日おきに自分で
注射です。ためらい傷一杯出来そうです。
9月28日 手術26日目
退院です。途中で腸閉塞があったので退院が延びました。

退院後の検査再発 この後も続きます。 

 

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